今北産業風・ねっとさーふぃんの記録@ほ(ん)の(り)むらさき

毎日やってるネットサーフィンの記録から一年間の自分を振り返るためのチラシの裏です

詭弁 02 未知論証 証拠がないから潔白なのかな?

未知論証 (ad ignorantiam)

A「B氏は地底人がいないと断言している。しかし、そんな証拠はないので地底人はいることになる」

Aの発言は、「XがYでない事は誰にも証明出来ない。故にXはYである」という形式の推論で、これは未知論証という。「結論できない」という前提から「結論」を推論しているので、前提と結論が矛盾する。これは誤った二分法にも通じる。排中律を前提としない論証においては、証拠がないことを根拠に物事を証明することはできない。この種の論証がもし有効であれば、部屋のなかにいるだけで宇宙のありとあらゆることが証明可能になってしまう(「宇宙には果てがあるというが、そんな証拠はない。よって宇宙には果てが無い」「引力は宇宙のすべての場所で機能しているというが、そんな証拠はない。よって万有引力の法則は間違っている」等々)。これは「A氏は地底人がいると断言しているようだが、そんな証拠はない。地底人はいない」という一見すると常識的な論証についても同様であり、地底人の存在について何らかの論証的な判断を下そうとする場合には、「証拠の有無」に対して「証拠がある場合は十分な吟味により結論が推定され」「証拠が無い場合は論証的には何も言えない」とするのが正しい。科学的方法においてしばしば未知論証が重大な誤謬の原因となる。(悪魔の証明

A「B氏はC氏をこの事件の犯人だと推理しているようだが、そんな証拠はない。C氏はきっと犯人ではない」

法廷においては、未知論証の誤謬は例外的に証明責任により代替される。原告・被告ともに十分に立証活動を尽くしても、裁判官が争点になった事実があるのかないのか確信できない場合があり、科学の立場ではそれぞれの意見を仮説として両論併記することが可能であっても法廷では裁判を拒否することはできず、結論を出さなければならない。そのため真偽が不明であるにもかかわらず、争点となった事実の有無を擬制して裁判をする必要性が生じ、結果生じる一方の当事者の不利益が証明責任である。法廷においてはB氏に挙証責任があり、B氏が法廷に対しC氏が犯人であると確信するに足る証拠を挙げることができなければ、未知論証であるにもかかわらずAの主張は正しいことになる。(証明責任)