今北産業風・ねっとさーふぃんの記録@ほ(ん)の(り)むらさき

毎日やってるネットサーフィンの記録から一年間の自分を振り返るためのチラシの裏です

『反省』や『自分に問題があったか』を考えるときにありがちな間違った考え方

風邪を引いてしまったので、家で休みながら備忘録を書く。




よく『自分が正しいという考えを捨てろ』という指摘に対して、往々にして人は『自分が悪いということか!?』と錯覚してしまいがち。
指摘する側も言葉の魔力に惑わされて、善悪や白黒で物事を考えてしまいがちだし、指摘された側もその言葉に牽引されてしまう。
こうした錯覚は、問題を複雑化させるだけで、自分にとっても周囲にとっても良くないと思うので備忘録として書き留めておく。





大前提(1)『白か黒か(善か悪か)』の二元論を捨てる

自分が悪いわけでもなく、かといって相手が悪いわけでもないという状況がある。
『構造上の問題』あるいは『必然的に起こる問題』などのように、誰が責任ということもなく起こるべくして起こる問題がある。
こういう問題は岡目八目で、第三者から見れば滑稽だが、渦中にいる当事者には見えないことがよくある。

例えば、日本が少子化に陥るのは政治家の責任ではない。
発展途上国に生まれた子どもが世界的に見て貧困レベルの生活をする原因がその子にあるわけでもない。
しかし日本の経済成長や人材不足、国力の増強、世界における日本の地位の存続を願うなら、少子化には対策を打たなければならない。
発展途上国に生まれた子どもが格差からの脱却からを図りたければ、その子はその環境から脱出しなければならない。

大前提(2)物事には『正解』があるのではなく『最適化』しかない

答えがあるのではなく、答えを出さなければいけないから答えを創っているだけ。
後ろから来た人間にはそれが答えに見えるのだが、当事者からすれば『目の前にある問題を片付けた』だけ。
正解かどうかは後からになってしか分からないし、仮にそれが正解だったとしても、問題はまたすぐに起こる。

恒久的な解決策は世界には存在しないから、『正解』と思えるものも、実際はそのときそのときで問題を『最適化』する手段でしかなかったりする。

大前提(3)起きた事柄は全て“正しい”=すべては“必然”で起こる

起こるべくして問題は起こっている。問題が起こると人はそれを『あってはならないこと』と捉えがちだが、それは違う。
因果関係を考えると、問題が起こるほとんどは必然である。
それに対処することこそが人間の使命で、それがあるから産業が生まれ、職業が生まれる。

解決策(1)『モクテキ思考』、『コトガラ思考』

直面しているコトガラに着目して、モクテキに沿って問題を捉えなおさなければならないのである。
このとき勘違いしてはいけないのは、モクテキが先にあって、コトガラがあるということである。
善悪とか白黒思考の人は問題が起こった事に着目するのだが、実際はモクテキがあってそこにコトガラが起こっている、という見方が正しい。
だから重要なのはそれが白か黒かというジャッジではなく、モクテキを前にしたときにそこにコトガラがあるので、どうしたらいいのか、
という“考え方”である。

解決策(2)養うべきなのは『判断力』、培うべきなのは『勇気』

自分のせいだと考えることも、相手のせいだと考えることも、実は両方とも問題そのものから逃げている。
問題と正しく向き合うためには勇気がいる。

安易な引きこもりや怒り、衝動のような解決策に走るのではなく
正面から問題を見つめて、行動を起こしたときに初めて、その人の能力と個性は磨かれていく、はず。

解決策(3)大局的には物事は収まるところに収まるようにできている

誰がコントロールするでもなく、ほとんどの物事は向かうべき場所が決まっていて、大抵その枠内で落ち着くところに落ち着くようになっている。
自分やもしくは誰か他人がそれをコントロールしていると錯覚するからあれやこれやと邪推したり混乱や対立が生じるのであって
実際は物事のほとんどは起こる前からすでに決まってしまっていることが多い。