今北産業風・ねっとさーふぃんの記録@ほ(ん)の(り)むらさき

毎日やってるネットサーフィンの記録から一年間の自分を振り返るためのチラシの裏です

正しいフィードバック

同僚の業績不振(とその理由)を指摘するのは、決して気分がいいことではありません。しかしそれは、あなたがしてきたことの中でも、最も重要で、最も思いやりのある行為になるかもしれません。現在の状況や、過去の業績がどうであれ、誰にだって改善の可能性はあるものです。ただし、そうなるためには、信頼できる誰かから、自分の至らない点を指摘してもらう必要があります。
つまり、ネガティブ・フィードバックは、貴重な贈り物になりえるのです。例えば、医療や航空産業などにおいては、ネガティブ・フィードバックがたくさんの人の命を救うかもしれません。しかし、取り扱いには注意が必要。ネガティブ・フィードバックのせいで、人間関係が壊れ、信頼が失われる危険もあります。それでは、まっとうで思いやりのあるフィードバックを与えるにはどうすればいいのでしょうか?
なによりもまず、ネガティブ・フィードバックを言えるための自信を育てなければなりません。数々の研究により、自尊心が低い人ほどネガティブ・フィードバックを与えたがらないことがわかっています。とくに、対面の状況でそれは顕著となります。おそらく、自尊心が低い人はいつも他者から好かれたがっており、批判の矛先が自分に返ってくるのを恐れているからでしょう。ある研究によると、自己監視の度合いが強い人(社会的承認をとても気にする)も、「沈黙を守り」がちなのだとか。つまり、同僚にネガティブ・フィードバックを与えません。とくに、他人に口出しをしないことが規範となっている企業文化ではそれが顕著です。
逆説的ですが、人からどう見られるかを気にして、他者にネガティブ・フィードバックを与えないのは、自己中心的な振る舞いでもあるのです。エゴを脇に置き、人から好かれたい、いい人に見られたいと思うのをやめることです。適切なやり方で、まっとうなネガティブ・フィードバックを与えれば、相手の利益になるだけでなく、あなた自身も、より影響力を持つ同僚やマネージャになれるでしょう。
逆に言えば、ネガティブ・フィードバックをまったく与えないのは、相手から向上するチャンスと指針を奪うことでもあります。将来、本人が自分の間違いに気づいたとき、チャンスがあったのに、あなたが何も言ってくれなかったことがわかるでしょう。あなたは今まで、口をつぐんでおくことで、人から嫌われずにすんできたと思っているかもしれません。しかし、それは将来の自分に問題を積み上げていくことでしかありません。

破壊的批判や、微妙に侮辱的なフィードバックを与えないこと
「破壊的批判」とは、心理学者が使う言葉で、攻撃的な口調で伝えられるフィードバックや、業績不振の理由を、本人には変えられない生得的特質のせいだと暗に示唆するようなフィードバックを指すものです。
少し極端な例ですが、例えば編集者がライターにこんなフィードバックを与えているところを想像してください。「この記事は悪いジョークだよ。明らかに、一貫した論旨を展開するだけの知性がない人が書いた文章だね」ある研究によると、驚くにはあたりませんが、この種のフィードバックに対して、たいていの人は怒りの反応を示すそうです。また、フィードバックを与えた相手への信頼を失い、その後も業績を向上させようと努力しなくなるそうです。
あなたが比較的まっとうな人なら、いままで誰にもそんな口はきいたことがないと、胸をなでおろしているかもしれません。しかし、安心はできません。専門家たちは、「微妙に侮辱的なフィードバック」にも破壊的批判と同じリスクがあると言っています。表面上は丁寧に見えても、暗に相手のことを侮辱しているフィードバックのことです。
例えば、スペルミスなどの些細なミスをしつこく指摘するのは、お前はこんなミスも見つけられない無能者なのだ、と暗にほのめかしていることになります。同じく、簡単に思いつくはずの解決策を指摘するのも(スペルチェッカーを使うだけでよかったのでは?)、お前は頭が悪い、とか、努力が足りないというメッセージを送ることになります。
つまり、いくら丁寧な態度をとり、相手の生まれつきの能力を揶揄しないよう気をつけたとしても、それだけでは不十分なのです。フィードバックの中に、微妙な皮肉や侮蔑が含まれていないか、よく確認する必要があります。誰かにフィードバックを与えるときは、事前に自分の考えを整理し、どんなフィードバックを与えるつもりか書き出してみてください。どれほど些細でも、皮肉や侮蔑が含まれていてはいけません。


個人ではなくプロセスを批判すること

ネガティブ・フィードバックへの反応はその人の気質、信念などによって異なります。そのことが、どんなフィードバックを組み立てるべきなのかを教えてくれます。
例えば、柔軟なタイプで、目標を学びと熟達に置いている人は、(まっとうな)ネガティブ・フィードバックに対して、建設的な反応を示します。つまり、自分の間違いを正したり、さらなる努力をしようとします。そういう人は、批判を学びのチャンスだと考えるのです。
逆に、固執するタイプで、自分の有能さを誇示することに目標を置いている人は、ネガティブ・フィードバックに対して非生産的な反応を見せます。過度に自己中心的で、恨みがましく、回避的な傾向を示すのです。こうした人は、ネガティブ・フィードバックをもらうと、自分の根本を否定されたと受け取ります。「私はダメなライターだ/私は頭が悪い」 そして、自信を失い、あらゆるフィードバックを拒絶しはじめます。「あの馬鹿は自分が何を言っているかわかっていないんだ!」 ここにある違いは、「Get better思考」と、「Be good思考」の違いです。
相手がどんなタイプであれ、建設的な反応を得られやすいフィードバックの与え方があります。不十分な成果の原因となっている、外的で変更可能な要因を説明してあげれば(なぜこの記事がイマイチかと言うと、十分な調査に基づいていないからだ)、建設的な反応を引き出せるでしょう。聞かされた相手も、自分の有能さを証明するより、学びを得ることを重視しはじめるはず。相手のプロセスのどこを調整すればいいかを指摘してあげれば、本人も具体的なアクションがとりやすくなります。(なるほど、次回はもっと調査に力を入れよう)。一方、相手の個人的な職業倫理を批判するだけでは、次のアクションは見えてきません。
文脈に合っていて、恩着せがましくなければ、ネガティブ・フィードバックで相手を元気づけることさえできます。それは、その人の根本的な資質を批判するものではなく、改善に向けた具体的で実践的なステップを示すものになるはずです(今回の記事はあまり出来がよくないが、それはあなたがダメなライターだからではない。もう少し調査をして、より多くの専門家の話を聞けば、いい記事になるはずだ)。最近の研究によると、このようなフィードバックを与えられた人は、自己否定に陥ることもなく、自らの努力をきちんと評価できるようになるそうです。
フィードバックを与えるときに気をつけるべきことがほかにもあります。例えば、相手の業績の低さを、ほかの同僚たちと比べてしまえば、競争心を煽り、業績至上主義に陥らせてしまいます。そういうモードになっている人は、ネガティブ・フィードバックにますます非生産的な反応を示すようになります。
また、仕事を与えるときの言い方も、ネガティブ・フィードバックへの反応を大きく左右します。仕事を与えるときに、「君の能力を見せてくれ」という調子で言ったなら、後で業績の低さを指摘したときに、相手から激しい反応が返ってくるのは容易に想像できます。そうではなく、「この仕事は君の学びと成長のチャンスになるはずだ」と言って渡せば、後でフィードバックを与えたときに、たとえそれがネガティブなものでも、建設的な態度で聴いてもらえるはずです。
勇気と忍耐力を持って、建設的なネガティブ・フィードバックを与えれば、相手の自己成長をサポートすることができます。そしてなによりも、私達自身の姿勢が、信頼の文化をつくる基礎となることを忘れないでください。すなわち、ただ良い結果を出せと背中を叩き合うのではなく、どこに間違いがあるかを指摘し、改善方法を教え合う文化です。そうすることで、私たちは共に向上できるのです。