今北産業風・ねっとさーふぃんの記録@ほ(ん)の(り)むらさき

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砂山のパラドックス

砂山のパラドックス(すなやまのパラドックス、英: paradox of the heap)は、述語の曖昧性から生じるパラドックスの一種である。ソリテス・パラドックス(sorites paradox) とも呼ばれ、soritesはギリシア語のσωρός(sōros、堆積物)の形容詞化した言葉である (σωρίτης (sōritēs))。簡単に言えば、砂の山があったとき、そこから数粒の砂を取り去っても砂山のままだが、そうやって粒を取り去っていったとき、最終的に一粒だけ残った状態でも「砂山」と言えるか、という問題である。

基本的には相対的で定義がはっきりしないことを扱う学問領域である言語哲学に属する問題である。一方数学では、全ての用語が明確な定義を持っている。このパラドックスは不明確な用語を数学的な論理式に持ち込む際に常に付きまとう問題であり、定義不能な不明確な概念に論理を適用する際の問題である。




「藁を追加しなければ、ろばの背骨が折れることはない」(前提1)「藁を1本追加するだけなら、ろばの背骨が折れることはない」(前提2)「藁を1本追加することを繰り返すことで、ろばの背にはいくらでも藁を積むことができる」(結論)

このパラドックスは、自明に見える2つの前提と結論のうち、どれか1つを選んで間違っていることを説明しなければならない。そういった意味で、巧妙である。