今北産業風・ねっとさーふぃんの記録@ほ(ん)の(り)むらさき

毎日やってるネットサーフィンの記録から一年間の自分を振り返るためのチラシの裏です

3年経ったので

2018年9月9日をもってついに29歳になった。
今日は10月9日なので、ちょうど一ヶ月経ったことになる。
奇しくも26歳で入社した今の会社も三年が過ぎて、四年目に入る。

いわゆる社会人になったのは23歳なのだが
当時の自分が今こうして福島くんだりまで引っ越して
会社の借り上げ社宅で生活しているとは思わなかった。
振り返ったとき、この三年間はどうやって生きていたのかなとすら思う。
仕事で手帳に予定を書き込む癖がついているので、おおまかに仕事として
何を手がけてきたのかは分かるようになっているが、細かいところまでは覚えていない。

はっきりいってこの三年間は勉強の三年間だったことは間違いない。
会社に入って半年が経過してあちこち部署を転々としたのち、
二年目(入社が9月なので翌年の1月)から福島県に出張するようになった。
出張扱いで三ヶ月ほど福島に通った後、正式赴任になったのが入社九ヶ月目(つまり6月)
そこからさらに三ヶ月で、正式に今の課に配属。

入社二年目の下期から三年目の上期は、私的な試験勉強にほぼ時間を費やした。(※ちなみに試験は落ちたが、これは予定通り)
その試験が終わってすぐに、会社から求められて三年目の残り下期は会社用の資格試験。
四年目の上期に資格に受かったことを受けて、もう一つ目の資格試験に挑戦をはじめ、その資格試験の一次試験に合格して今に至る。
つまり今も絶賛勉強中である。
これが終わるとひと段落して、ようやく去年に受けた私的な試験勉強を再開することになる。
ここが正念場なのは間違いない。






味気ないな、と思う。はっきり言って味気ない。
特に大きく遊んだということもなく、大きく稼いだということもない。
出会いも別れもなければ、大きな決断もなく、ただすべきことに追われて時間が過ぎていった。

それなりに休憩もした。
懐かしい人にあった。
大きな決断や別れは、この会社に入る前にいた会社に入ったときに済ませてきた。
いろんな清算もあった。

激動があって今があるのに、この三年間だって決して何もしなかったわけではないのに
この淡白で同じことを繰り返す人生は何なのだろう。









仕事を選ぶとき、確かに自分には理想とするビジョンがあった。
何のために、どんな仕事につき、どういうことをしていたいのか。
今から思えば甘ったれたような内容だったが、しかしそれなりに計算して人生を生きてきたつもりだった。
何の能力もない自分が、どうにかして人生を全うするためにどんな職業につくべきなのか
理想とする生活において、もっとも重視すべき要素とはなんなのか。
ある程度は自分の意思を固めてきた選んだつもりだ。

それにしたって、あっという間すぎる。
20歳になる手前、19歳の頃。あの頃も勉強していた。
量でこそ今の方が上だが、密度で言えばあの頃は一番勉強していた。何より、時間があった。
妙な焦燥感のなかで、時間がどんどん過ぎていく感覚だけが自分を襲っていたあの日。
やがて自分はついに成人を迎えるのだという妙な雰囲気を覚えながら、自覚なくいたあの日。

あれから十年も経つというのに、自分はまったくそこから変われずにいる。
大きな決断をした日に、これまでの自分の生き方を捨てると決意したのに。
こうして何も変わらぬまま30歳を迎えるのか。
それとも本当は変化したのに、過ぎ去っていった時間に圧倒されて、その変遷をたどれないことを嘆いているだけなのか。





日記を書こうと思う。
できるだけ、短くてもいいから毎日。
どうせ、勉強の息抜きに聞いているラジオとか、ニュースで見たこととか、気になっている記事とか
それか会社から帰ってご飯を食べたり資格の教本を開きながら片手間に見ているアニメぐらいしか自分の生活にはないのだ。
せめて、自分がどんなアニメを見て、どんなニュースを見て、どんなラジオを聴いて何を思ったのか。
それくらいは振り返れるようでありたい。
仕事が忙しかったのならそれでもいい。どんな風に仕事が忙しくて、忙しかった間どんなことを思っていたのか。

誰の発言にむかついて、誰の失礼な台詞に腹が立ったのか
はたまた、ネットサーフィンをして見かけた誰に嫉妬したり、誰を見て自分を卑下してしまったのか。
その記録を残したい。

やがて振り返るときに、ああそういうことがあったのか、と懐かしく思えるように。
自分にもまた、振り返るべき過去が確かに積み上げてあったのだな、と気づきたいがために。